「原発反対」の声をあげるため首相官邸前に集まる人々の数は、最盛期(6月末~7月末)と比べると、明らかに減少した。しかし原発推進に異を唱える人が減ったわけではない。
官邸前が減った分、地方で声をあげる人が増えているのだ。官邸前で“研修”した人々は地元に帰り、当地の金曜集会を盛り上げる。ウェブ上で数えただけでも70ヵ所を超える。田中と諏訪は8月から地方の金曜集会に足を運んでいるが、各会場には必ず「官邸前経験者」がいる。
「夏休みに官邸前に行き声が枯れるまで叫んだ」。JR青森駅前で出会った女性(40代)は清々しい表情で語った。
日本人は大人しいと言われてきたが、最高権力者のノド元での抗議行動が半年余りも続いているのである。それも万単位の参加者で。
国家権力の具現者である警察と市民の力関係も変化し始めている。毎週金曜夕方、官邸前に通じる歩道は警察の通行規制が敷かれる。警察官が通せんぼして参加者を官邸に近づけないようにするのだ。
28日夕、衆院会館前の歩道で“衝突”があった。参院会館での集会を終えた女性たちが、制服警察官に行く手を阻まれた。
「ダメです、ここから先は進めません」。警察官たちは、両手を広げて立ちはだかる。
「あなた達、何の権利があって私達を止めるの?」「いいから行かせてよ」。女性たちは全く怯まない。
押し問答が続いた。そうこうしているうちに一人の女性が警察官の手を払いのけて前へ進んだ。なだれを打つように他の女性たちも歩き出した。田中と諏訪も後に続いた。警察の規制は“力づくで”突破されたのである。警察は得意の「公妨」を適用することもできなかった。これまでのデモ・集会ではあり得なかったことだ。
国会議事堂前のファミリーエリアに行くと、お腹の大きな女性(武蔵野市在住)がスピーチ台に立ちマイクを握っていた。臨月の体を押して初参加した。
腕に抱いた幼な子は1歳半だ。福島原発事故の2週間後に生まれた。不幸な出来事は続く。誕生から2日後に東京都の浄水場から基準値を上回る放射能が検出されたのだ。
「この時ほど『原発反対』の声をあげてこなかったことを悔やんだことはない」。彼女は忌まわしい出来事を思い出すように話した。「このまま黙っていたら生まれてくる子供の未来はないと思って奮起した」と語り、吹っ切れた笑顔を見せた。
集会・デモに参加したことのない人たちが、「再稼働反対」を叫んで政治の中心地、永田町に集まってくる。日本の近現代史になかった現象だ。
「TPP反対」、「反貧困」…今や官邸前は市民が政府に物申す場となった。先陣を切り拓いた「脱原発・金曜集会」の役割は大きい。
《文・田中龍作 / 諏訪都》